フリーエージェント社会の到来

フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか

フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか

フリーエージェント社会とはどんな社会か?フリーエージェント社会とは、「インターネットを使って、自宅で1人で働き、組織に庇護を受けることなく自分の知恵だけを頼りに、独立していると同時に社会と繋がっているビジネスを築きあげる人々が大多数を占める社会」とされる。定義が長すぎる。もはやインターネットに関わらないということは考えられないが、インターネットなどはフリーエージェント社会の本質ではないだろう。ビジネスという点すら本質ではないかもしれない。余計な言葉をそぎ落とした私の定義では、「独立していると同時に社会(組織)と繋がっている人々が大多数を占める社会」だ。「上司や組織に対するタテの忠誠心よりも、同僚、顧客、家族、友人などのヨコの信頼の比重が大きい社会」と言い換えてもよい。

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界

本書では、著者がビルマにおいて送った2年弱のイギリス軍捕虜生活から見えた、普通の交際からでは知り得ないイギリス人の正体について考察されている。イギリス軍の捕虜に対する扱いから、イギリスを含むヨーロッパの人々の底流に流れている東洋人に対する考えが理解されたという。


それは、ヨーロッパの人々が努力して威張っているのではなく、彼らの東洋人に対する絶対的優越性は、まったく自然なものであるということである。私たちが、家畜や虫に対して感じるような絶対的優越性を彼らは私たちに持っているというのである。


当初著者は、戦争に負けて捕虜になったら、日本軍が捕虜を扱ったように(捕虜の虐殺や無理な行軍)いわゆる”残忍”に扱われると考えていたようである。しかし、いざ捕虜になってみたらイギリス軍は捕虜に対しての殴る蹴るの直接行動はほとんどなかったという。絶対的に優位なのだから、殴る蹴るで優位性を感じる必要はないのだ*1


捕虜に生きるに最低限の食料を与え、最大限の労働をさせた。きわめて合理的である。その合理性から言えば、殴る蹴るはきわめて非合理的な行為といえる。しかし、著者はその一見いかにも合理的な処置の奥底に、この上なく執拗な、極度の軽蔑と、復讐がこめられているのを感じたという。


例えば、イギリス人が排泄中にトイレの掃除を行っても、彼らはチラッと捕虜と確認するのみで、行為を継続したという。まるで、用を足している我々が、足元にゴキブリがいるのを見てもそのまま用をたし続けるのと同じではないか!


そして、彼らの東洋人に対するこういった見方は、彼らの宗教観、つまりキリスト教に因を求めることができると著者はしている。


キリスト教で動物は、人間に使われるために、利用されるために、食われるために、神に創造されたとされている。つまり、人間と動物の間に激しい断絶を規定した宗教なのである。何で断絶を規定するかといえば、信仰の相違や皮膚の色などとなり、我々モンゴロイドネグロイドまたは非キリスト教徒は、動物ということになる。


イギリス軍から供されていた米に泥と砂が3割程度混じっていたので文句を言ったところ、「家畜飼料として使用しており、なんら害のなきものである」と返答されたという事実も書かれていた。まさに、捕虜を家畜として飼っていたのである。


他民族に対する差別意識*2はどの民族においても存在するであろう。しかし、日本人の差別意識とヨーロッパ(アメリカ)の人々の差別意識はまるで違う。私たちの差別は、優劣はともかく、異質の存在を排除する方向のものだと思う。しかし、彼らの差別意識は、他者はおらず、自分たち以外は家畜というものなのだ。


現代においても、まだ彼らにはそういった考えが根強くあると思う。アメリカ(ブッシュ)は対話ということを知らなかったし、イタリアの首相なんかは、アメリカの現大統領のことを「日焼けしすぎw」と繰り返し発言している。


宗教戦争でもして、家畜に飼われる日がくるまで世界は変われないのかもしれない。

*1:通常、殺した家畜を執拗に刺し続けるなんてしない。通常

*2:日本人が考えるところの差別

グループディスカッションの講座を受けて

グループディスカッションの講座を受けてきた。自分の頭の悪さを認識するのはつらいが、めげずに成長していこう。



以下にフィードバックをまとめておきます。


面接官は何を見ているか?


・一番重要なのは、発言回数  よいミットフィルダーになれ(たくさんボールに触れ、パスを受け、供給し、ゴールを決めろ) 

発言しなければ評価できない → お祈り行き

・積極性  最初の2分でその人の積極性は分かる

・本質的な内容を話しているかどうか



(グループディスカッションに関して)

ブレインストーミングからディスカッションに入ると、漏れの可能性がある(帰納的)

・まずはフレームを意識しろ(演繹的)
Ex. 心技体 過去現在未来 input process output

・(演繹的)に行き詰ったら、(帰納的)からアプローチしてみる (帰納的)⇔(演繹的)を繰り返す

・与えられた議題を勝手に矮小化しない(勝手な定義付け) ある程度の抽象さは許される

・自分の意見を受け入れてもらいたいなら、まず相手の意見を聞く 

・意見の対立する相手とはケンカするのではなく、徐々に意見を自分の方向に曲げていくというスタンスが有効

・あらぬ方向に議論が進んでいると感じたら、そもそも論を展開して、スタンドポイントに立ち返る

・声は必要以上に大きいほうがよい

・ノートをテーブルの中心において、皆で書き込む(皆に見えるように) メモに集中して下を向くと議論の中心にはなりえない

・メモはキーワードだけに留める あくまで話に集中

・話している相手の目を見る(相槌も適度に) 話者は目の合う人に向かって話すので、話が自分に集まりやすくなる

・如何にメンバーを巻き込む議論を行うかが重要

・沈黙はチャンス 自分が話しを切り出すと一気に有利になれる



(プレゼンに関して)


・結論から言え

・できる限り簡潔に あれこれ盛り込んでも、聞いているほうは覚えきれない

・あっと言わせるような奇抜なアイディアでも、真面目に、ロジカルにプレゼンすれば、最高のアピールになる

就活の法則

就活の法則 適職探しと会社選びの10ヵ条 (講談社BIZ)

就活の法則 適職探しと会社選びの10ヵ条 (講談社BIZ)


新卒の3割が3年以内に辞めるという厳然たる事実は、就活市場が正常に機能していない(企業と学生のミスマッチ)ことを示唆しているという。
正常に機能していない要因として、以下の3つを挙げている。


1.正しい情報が提供されていない
2.企業と学生の間に信頼関係が成立していない
3.フェアな仲介機能が存在しない


仕事内容や処遇条件、企業風土、社内の人間関係に関して綺麗事ばかりを並べる企業と、勤勉な努力家を装い、口先だけで能力とやる気をアピールする学生の関係は、政略結婚さながらであるという。


また、本来、合理的な価格設定、及び市場参加者の信用担保とフェアな取引の番人であるべき仲介業者は、新卒、第二新卒中途採用と「一粒で3度おいしいビジネス」に腐心しており、信用に足らない。


こうした就活市場においては、学生側が、的確な自己分析に基づいて適職を見出し、自分の本当の姿を面接で語ることが大切であるという。


そして、本書では適職に就くための選択と実行に関するアドバイスとして、10ヶ条を示している。


以下10ヶ条のまとめ(改釈あり)


1.人気度ランキングで選ばない

ランキングは「給与の水準」「収益性」「CSR」「採用人数」など様々な指標を合算したデータに過ぎない。これらの指標のどれが、自分の動機に直接的に関係があるだろうか?ランキングよりも業種、業種よりも職種で選ばなければならない。あと、ナビを見ていると「同期のブックマークをチェックしよう!」みたいなのをよく目にするが、あれもよくない罠。



2.実力以上の会社に入らない

少しでも偏差値の高いところに入ればよかった大学とは違う。大学は偏差値に関係なく、望みさえすれば卒業できたが、会社はそうはいかない。実力以上の会社に入ると、仕事でいっぱいいっぱいで、突き抜けた経験ができない。実力以上の会社に入ろうとせず、相対的エリートとなることで、成長に繋がるよい経験ができる可能性が高い。まずは、自己分析、その中でも、「自分ができること」をしっかり認識するべき。



3.受けるのは5社で十分

大切なのは、選択と集中。5社に絞り込んで、全力でトライ。他の学生と本気度の違いを出せ。




4.面接では当たり前のことを言わない

「面接の三種の神器」アルバイト、サークル、ボランティアにまつわるエピソードに、面接官はうんざりしている。引き出しとしてはあってもよいが、他の学生との差別化にも注力すべき。差別すべきことがないのであれば、今から作ればよい(ウソはダメよ)。中国人の彼女をつくるとか、アラビア語が少し話せますとかいいかもしれない。
「協調性がある」とか「クリエイティブな人間」とかいうアピールはマジ勘弁。自分の欠点も正直にさらけ出せ。長所のアピールにすりかえる必要は、ない。

学力低下は錯覚である

学力低下は錯覚である

学力低下が叫ばれて久しい。筆者は大学の教員で、教員の間でも「学生レベルが低下している」というのが定説になっているという。しかし、本当に学力は低下しているのだろうか?この問に答えるべく、本著は、定量的データを用いて検証を行っている。

一般的に言われる『学力低下』とは、『集団(日本)全体の学力が低下している』ということであろう。まず、著者は、学力低下は主観的で、過去のデータが不足していることもあり、一概には言い切れないという。

さらに、本当に『集団全体の学力が低下している』を言うには、『縮小のパラドックスによって、集団全体の学力が低下して見える』という要素を考慮しなければならないと主張する。縮小のパラドックスとはつまり、大学が定員を増加している一方、子供の数が減少しており、以前では大学に入れなかった人でも、入学できる状況(全入時代)になっているということである。よって、任意の大学の学生を見た時、学生の質が低下しているのは当然の帰結なのである。

頂点の東京大学を見てみても、1950年代では定員1600人であったが、現在は定員3000人となっている。入学しやくなったのは間違いない。また、私大などでのAO入試や推薦入学の実施も、大学の学生偏差値を低下させる要因になっていると考えられる。

『縮小のパラドックス』を考慮すれば、『学力低下』は言い切れないというのが本著の一貫する主張である。

こうして定量的データを用いて検証してみると、『学力低下』説はつくづくいい加減なものだと感じる。なんとなく『学力低下』だったわけだ。


個人的にも、『学力』は低下していないと思う。時代に応じて変化しているだけ。



『学力』を学ぼうとする力と定義しなおして、マトリックスを作成してみた。

インターン面接に行ってきた

昨日、某ベンチャー系のインターンに参加するための面接に行ってきた。「なぜ参加したいのか?」「インターンを通じて何を学びたいのか?」「将来どうなりたいのか?」などと質問され、その後簡単な問題解決テストを行った。問題解決テストはようするに、設備コストを削減するにはどうすればよいかというもので、ロジックツリーがどこまで分解できるかがポイントであると言われていた。


結果:不採用

反省:真摯さの欠如

一言でいえば、真摯さの欠如。これは重症だ。ロジックツリーを恐ろしいほど分解せずに終了。いや、分解できなかった。いやいや、もー分解できないっしょって、早々に自分の箱に閉じこもってしまった。2段掘り下げただけ。他人のも見たが、4段くらい掘り下げていた。他人のは全然ロジックツリーになってなかったけれど、掘り下げようとすると姿勢とかが評価されたのかも。てか、事前にそれがポイントだと言ってたじゃんw


やっぱり、あたいってなんか生意気なんだろーな。たいして優秀でもないのに、優秀ずらしてるのが自分でもきにくわないし。そういうのって、すごい嫌な匂いを出してる場合が多いしな〜。なんか嫌な感じってやつ。あー直さなければ。直るのか?やべーな


とにかく、インターン参加できないのはショックだ。この会社しかない!って不採用通知見るまでは思ってたんだ。ほんと、恋と同じだな。甘酸っぱい恋と。いや、甘酸っぱくはないな。一方的な恋だわ。


あたいの興味と御社の事業はベストマッチであります!もう御社しか見えませぬ!是非是非!

そんなかんじだったのに、振られたからショックだ。

いや、でも、恋と同じで、それだけ本気で恋してたからこそ、ショックを受けるんだな。うんうん(πεπ)

今回のことは忘れます。真摯が足りなかったと言う点を除いて

私という病

私という病

私という病

ただできれば私は、脳内で組み立てた理論ではなく、自分自身の体験と肉体から生まれた思想を語りたいのだ。そこに私という人間の実感がこもっていなければ、私の言葉に「本気」が宿らない気がするからね。「本気」の宿らない言葉には他人を説得する迫力がないと、私は頑迷に信じているの。(P2)

そして彼女は作家からデリヘル嬢(作家兼デリヘル嬢)になった。

まぁ、一般的には、40代後半のおばさんが年下の男とSEXする場合、男に「していただく」というもんだ。だが彼女はしていただくという立場が気に入らなかった。なにがなんでも、彼女は「してあげる」がほしかった。だから、ヒアルロン打って、シリコン入れて、デリヘル嬢になってみて、究極に「してあげる立場」を体験してみたのだろう。別にしゃぶりたかったからなったのではない。