技術至上主義の終焉

技術の進歩だけで社会がよくなると考えている人がいる。ハイブリット自動車や電気自動車、様々な機能が付加された携帯電話、家から一歩も出ずにあらゆる用が満たされるインターネット技術とか。そういった技術がどんどん開発されさえすれば、社会はよくなり、個人は幸福になるんだと。

こういった、技術さえ進歩すれば、それで幸せになれるんだといった考え(技術至上主義)は、19世紀のヨーロッパでもあったらい*1。はっきりとは覚えていないが、武田邦彦氏の『エコロジー幻想 』の中で、自動食事機械なるものが紹介されていた。これは19世紀当時の人たちが、将来の食事風景として想像していたもので、椅子に座って口さえあけておけば、あとは勝手に口に食事を流し込んでくれるような機械である(写真)。未来はhave lunchではなく、eat lunchの効率化にあると考えられていたわけだ。

技術の進歩自体は、より環境によく、より使い勝手がよく、より効率的な生活に寄与するものであり、技術の進歩が社会をよりよいものにするのに必要であることは論を俟たない。

しかし、果たして、技術のみによって解決できることの延長線上に社会をよくするための答えはあるのだろうか。どうもそうは思えない。

自動車の温室効果ガス排出問題を例にとって考えてみる。

現状は、技術進歩により、燃費は以前の1.5倍になった。だけど、車台数はどんどん増え、1.5倍になったというどころではない。いくら燃費が向上したとしても、それをいいことに、燃費向上を相殺するのに十分な車台数が増加すれば、温室効果ガス排出問題はまったく解決の方向には向かわない。今後は、このような技術進歩だけに頼った問題解決を図るのではなく、自動車の台数を半分にすること(自動車の使われ方、自動車を必要としない社会のあり方)を同時に考えていくことが必要であると考える。

今後、より重要となってくるのは、技術の進歩ではなく*2、技術の進歩を社会がどう受け止めていくのかということだと思う。書いていて、ドラッカーがマネジメントの重要性について語っていたことの意味が少し分かった気がした。

*1:技術至上主義なんて人類史を通してあり続けているものだけど、より鮮明に技術によって解決できることの延長線上に未来が描写されたという意味において

*2:もちろん必要だけど!