だまされない議論力

議論は漫画やテレビとは違い、接してさえいれば自然にその面白さに浸れるというモノではない。読むほう、聞くほうも積極的に関わらなければ面白くない。逆に言うと、一定のテクニックを持つものにしかアクセスできないが、それが持てれば一挙に広大な世界が開ける。この入り口に立てない人はこの豊饒な土地から閉め出されているに等しい。P135

私の研究グループでは、議論を非常に重要視しており、それぞれの研究内容を議論の俎上に載せ、それに対してメンバーが積極的に発言することが求められている。活発な議論が行われるためには、議論の前に、議論されるものの前提をメンバー全員が共有しておかなければならず、入念な準備が必要だ。この準備次第で、議論に加われるかどうかが決まる。

ある意味で、議論とは、むしろ当たり障りのある意見を出すことだ。そうでなければ場は活性化しない。あえて異論を出すことで、元の意見も深化させられる。様々な場合を検討し、その適用を吟味することができるからだ。P8

自らの研究内容を、ロジカルに考え、批判的にみているつもりでも、往々にして穴はあるものだ。というか、自分の思考の枠からはそう簡単にでれるものではないから、単独でがんばるというのは非常に労力を要する。そうではなく、研究内容を議論の俎上に載せることによって、他者から意見をもらうったり、ロジックの飛躍を指摘してもらったりする方が数倍効率がいい(たとえ専門外の他者でも優秀であれば)。自分の中の批判の目を、他者に転嫁させることによって、労力削減になる。

(議論に)負けることでしか、新しく高い真理に到達できない。なぜなら、勝つだけなら自分がはじめから持っていた真理と出会うだけだからだ。新しい真理に出会うためには、積極的に負けねばならない。負けて初めてこういう考え方があったのか、とわかる。負けて感謝できる、それが議論の仲間だ。P95

幸い、そういう仲間には恵まれている気がする。議論の優劣は、より真実に近づいているかどうかで決まる。

「読解-解釈-批判・提案」という順で語れば、かなり客観的に語れる。

だまされない〈議論力〉 (講談社現代新書)

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