学習の要諦

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近所の書店に行ったら、一冊500円で新品洋書がセールに出されていた。そこで「Orientalism」「THE World is Flat」「gun,germs and steel」「1491」の4冊を購入。

一冊500円というのはすごく幸運だったけれど、元の値段を見ても3000円以下などで翻訳書よりは安く、もし英語を読むのが相当な苦痛でなければ、これからどんどんチャレンジしてみてもいいなと思った。原書に触れられるし、安いし、英語の学習にもなるし、購入機会が少ないというデメリットを打ち消すのに十分なメリットを感じる。

話が少し飛躍するが、おもしろそうな洋書を買って読むことは、英語習得(リスニングはあんまり関係ないかも)に一番の近道となり得ると思う。近年、英語の多読多聴を目的としたテキストが数多く出版され、それぞれのTOEICスコアーに応じたものが読めるようランク分けされているが、そういうのを度外視して、むずかしそうだろうがなんだろうが、面白そうなものを読むこと。それこそ、すきこそもののってやつだろうが、とにかく英語を習得するといった目的を、目的でなくすることが肝心であると思う。

たとえばWordやExcelの習得に関して言えば、WordやExcelをマスターするための講習会なんかに参加するよりも、課題を提出するための手段としてWordやExcelを利用する場合のほうが、断然学効率が高いし、血肉化される可能性が高い。つまり、学習すべきものを目的にして学習するのではなく手段にすることによって何か別のことを学習するといった態度の方が、結局は効率的な学習方法となるのだと思う。

そらそうだろ(笑)

ここで少し疑問に思った。上で述べた「何か別のこと」も手段にしてしまった方がよいのではないのだろうか。そして、「何か別のこと」を手段とした目的も、さらに別の手段となるべきではないのか。あくまで効率的な習得だけを目的とするのなら、これを突き詰めていけばいい。ずっとメタ化させていけば、どこにたどり着くのかしら。