本はどう読むか

本はどう読むか (1972年) (講談社現代新書)

本はどう読むか (1972年) (講談社現代新書)

本の深い理解は、表現の努力を通して形成されると著者は言う。表現の方法として、感想を書くというのがある。感想を書くには本気の努力が必要である。

たしかに「有益な本であった」と書いても、それは感想には違いない。(中略)しかし、どんな立派な本でも、すべての項が有益であるということはない。どの点が有益だったのか、どういう意味で、その点が有益だったのか・・・少なくとも、この辺りまで踏み込まねば、感想らしい感想とはいえないであろう。同時に、この辺りまで踏み込んで感想を書き、それが自分だけでなく、他人にも理解されるような文章になるというのは、非常に骨の折れることである。
誤解して貰っては困る。私は、骨が折れるとか、大きな精神的エネルギーがいるとか、そういうことを言って、読者を脅かそうとしているのではない。私たちは、表現の努力を通じて、初めて本当に理解することができる、それを忘れて貰いたくないのだ。本を読みながら、「なるほど、なるほど」と理解しても、そういう理解は、心の表面に成り立つ理解である。浅い理解である。本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生れる。深い理解である。深い理解は、本から学んだものを吐き出すとことではなく、それに、読書以前の、読書以外の自分の経験、その書物に対する自分の反応・・・そういう主体的なものが溶け込むところに生れる。それが溶け込むことによって、その本は、二度と消えないように、自分の心に刻み込まれる。自分というものの一部になる。受容ではなく、表現が、真実の理解への道である。
p94  本はどう読むか (1972年) (講談社現代新書)

なるほど、なるほど・・・

誰かに貰ったイデオロギーの蛮刀で障害を切り払いながらぐんぐん進むのではなく、自らの錆びきった刀を本との対話を通して磨き、地道に前進するしかない。